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Tetsuya-kun’s blog

思ったことをそのまま書きます

ナーバス


最近、僕はナーバス過ぎている。言葉一つで態度が急変するのが当たり前になっている。

今まで出来ていたことが出来なくなっているのがすごく分かる。

様々な出来事にプライドや思いを傷つけられてばかりきたまま3年目に突入し、しかもその刃は次々と新しいものが増えていく。減らない。

もう、ええ加減にせえ………
外出ればいろんな物事が今までの何倍もやかましく感じて辛いし、幸せそうな家族や子連れを見ると過呼吸起こしそうになるし、口開けば毒しか吐かないような歪んだ精神状態なんてもう嫌やねん…口開きたくないねん……

助けて欲しいけど、そんな人はいるはずがない……





















傷つけられた出来事の傷を埋めるには、その出来事自体に良い方向で介入して解決することでしか解決出来ないと思う。出来ないからごめん、それは自分で何とかしなさい、じゃ解決どころか火に油を注ぐ行為だもんね。

出来ないことに介入はしない、口出しもしない、この重要性は現代社会に必要だと思う。良くテレビで言われてるようなさ、寄り添うだけでもとかが本当に腹立たしいんだよ。一番いらねーよそんなの。
大概の悩める人は、解決に向けて動いて行きたいのに、大概の偽善者は口だけが達者。邪魔。同情するなら金よこせ。
相談受けます!な態度でその人に迫って、結果的に火に油を注ぐようなことになると、その人は何倍も傷つくものだよ。
だから、僕は基本的にはその人に対する責任が無条件に生じたりしない限り、何かあったらその人の人生全部背負えるくらいの覚悟無しに自ら介入したりはしない。何かあったら相談してね、も言わない。その人が困っていることに気づいていようが、それを話のネタにもしない。その人自ら来なければ絶対に対応はしない。
冷たいけれど、それが適切な距離感だと思う。

ってか、極論言ってしまえば、偽善者が居なくなれば自殺者減るんじゃないかな。













死にたいという人間は止めない。

人「もう死んでしまいたい…」
僕「あーそうかそうか。んじゃいつ死ぬ?」

こんな感じ。
何故かと言うと、自分がその人何とか出来るなら止めるけど、何も出来ない身が他人の人生に介入する権利なんて無いと思うから。
「あなたが死んだら誰かが悲しむ」とか、その人に対する人権侵害。悲しむはずの人間は大概生きてるうちは何にもしてくれないんだから、そんな人間に悲しまれること自体が相当うぜえと思う。
むしろ、そんな綺麗事言うくらいなら一緒に死に方考えてやるわ。
本当に大切な人が苦しんでいるけど自分は何もしてやれないとかなら、自らが逮捕されようが、その人が望むようにほう助してやるくらいの気持ちでいる。

大切な人を救えない苦しみは大きいだろうから、それならせめて最期の時くらい手伝ってやりたい。何も出来ないで罪の意識に囚われて悲劇のヒロイン気取るより、実刑に処されたほうがきっと僕は気楽でいられる。
そんな気がします。


あ、それか究極は
「今のままお前が死んだとしたら、悲しむ人間は間違いなく全員偽善者だし、それに喜ぶ人間もいるかもしれないよね。悔しくね?どうせ死ぬならそいつら好きなだけ処してから死のうぜ!」
って言って間を持たせるくらいの言葉は言ってやれるかな。



















今日、いろいろ話して思ったことをまとめておきます(´>ω∂`)

何回も自殺を考えたりすると、こういう歪んだ考え方になっていくのだろう。
勢いだけの自己満偽善者は社会的悪。そいつらこそ消えればいい。


じゃーね♡
⊂ヽ( ^ω^)つ^ω^)つ
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