読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Tetsuya-kun’s blog

思ったことをそのまま書きます

日々業火に焼かれたい


死にたいって思うのは、一時の感情であるかもしれないけど、そもそもちゃんとした土台を固めて生きてくることができた人はこんなこと思わないかもしれない。
したがって、こうやって思ってしまうのは昔からの積み重ねのせい。

って、今日もまた責任転嫁。ハハハハハハハハハハハハノ ヽノ ヽノ ヽ/ \/ \/ \


















今日はとあるワードを見つけました。

過剰適応
アレキシサイミア


過剰適応とは
複数の人間の利害が絡み合う社会環境(職場環境)に過度に適応して、自分の自然な欲求や個人的な感情を強く抑圧することで発病する症候群のことである。過剰適応とは、周囲の環境や他人に対して自分の意見や行動を無理に合わせることであり、『周囲の気分を害する不満』を一切口に出さず、『会社や集団の不利益になるような個人的都合』を押し殺すことである。
出典

僕みたいな人間が組織を重んじる会社に入ると、これを強く実感するんじゃなかろうかと。
まぁ、僕は口開けば不満マシンガンなんですけどね。


アレキシサイミアとは
アレキシサイミア(alexithymia、失感情症)という言葉は、ギリシア語が語源になっています。
欠落を意味する「a(ア)」、表現という意味の「lexis(レクシス)」、そして感情という意味の「Thymos(シモス)」という言葉からなります。直訳すると「感情の表現の欠落」となり、「失感情症」と和訳されています。

具体的には

自分の感情に気付くのが苦手
自分の感情を上手く表現するのが苦手
という性格傾向を持つ方のことです。

失感情症という訳から、「感情を失った人」「感情のない人」という意味だと誤解されることがありますが、そうではありません。例えば統合失調症では「感情鈍麻」や「感情平板化」といって、感情が失われたり乏しくなることがあります。しかしアレキシサイミアは、そういう感情の低下・欠損とは異なります。

感情はあるんだけど、その自分の感情に気付くことが苦手、あるいはなんらかの感情変化を感じてはいるんだけど、それをうまく表現できないようなタイプがアレキシサイミアです。感情を認識することが不得意であるため、想像力や共感する力、内省する力が乏しいことも特徴です。
出典

だんだんと、自分の感情がよく分からなくなってきて、言葉に表すのがめちゃくちゃ苦手になってしまったのもこれなんだろうか。
若年性認知症疑うくらいに感情が分からないというか表現が出来なくなっているのが不思議。






















僕がこうなってしまった原因は、いつまで経っても環境不適応で、地元に帰りたい思いを押し殺し続けてきたからだと思っていたんですが、


地元に帰りたいが第一義なんじゃなくて、
実家に帰りたいが第一義なんじゃないかと思いはじめていて、物凄く否定したいのに結果的にそうなっているような気がして自己嫌悪が半端じゃないです。
実家依存症とか言われたら、たとえ強制首振りマシーンに頭を掴まされたとしても、首を縦にふるのを必死で抵抗すると思います。

一人暮らしで満たされない思いが強すぎて、でも実家依存はしたくなくて、でも結果的に実家依存状態で、それから目をそらすために地元への思いを強めて問題の本質に蓋をしていたんじゃないかとか、
だから、頼れる人は気持ち悪いくらい依存しにかかったりとかこの人と離れたくないと強く思うんじゃないかとか、
それとも、私は他人から必要とされているというエネルギーだけ得れば良いのかとか、





思うことはたくさんあります。

だから、地元に帰りたいけど複雑な気持ちではあったりするんです。辛いけど、本質がなんだか違う気がするから。
ってか、地元に帰って一人暮らし始めたら、オカンが転がり込んできそうな気がして、今でも共依存みたいな状態なのにそれが一層強化されそうな気がしてならない。怖い。
地元に帰ったら心の安定は得られるかもしれない。でも、別なとこがタコ殴りにされそうな気もする。

なら、この環境で一人暮らし頑張るか?と言われてもなんだかしっくりこない。
何か、+αが無いと。
でも、その+αで自分が元気に過ごせるのか、その確信は分からない。


あぁ、人生の岐路。















あぁ、今日はねむい。

今日あったことはあまりにも大したことなさすぎなので寝ます。

おやす。



















まずは<( ˘ω˘ )>┌┛’,;’;≡三[▓▓]